不登校の問題解決。 旭川いじめ問題。 リモート授業があるのに、必ず学校に「行く」必要があるのか? 今なら守れる心と命。 

 2022年6月、旭川中2イジメ事件の被害者である広瀬爽彩さんが、
上級生からのイジメられていただけでなく、
「学級でも無視、仲間外れにされていた」ことが、新聞やニュースで報道されました。

広瀬爽彩さんが在籍していた小中学校の生徒にアンケートを行って、回答を得たそうですが、
「クラスで無視や仲間外れにされている感じがあった」、
「誰がどう見ても、はぶられている(仲間外れにされている)と思った」、
など記述もあったそうです。

問題は、
第三者委員会が、上級生からのイジメを認め、その報告をする(大々的な)記者会見をした時点でも、なお、その事実を隠していたこと。

アンケートで判明し、それを公表しなければならなかったのに、

つまり、この記者会見の時点でも、まだ、「学級での無視、仲間外れ」のイジメについて、隠ぺいしていた。 ↓

『ギャラクシー賞受賞『空白~旭川いじめ問題 問われる社会~』2022年4月30日放送 』

(HBCニュース 北海道放送 投稿)

 ここから思うのは、
イジメがあった、という事実は、
教師や、子供を守らなければならない立場の人からすると、
「不都合なこと」で、あること。

それが「あった」ということになったとたん、
「なぜ? 守れなかった?」
「あなたは、どう行動していた?」と、皆に責められ始めるので、当然なのですが、

当事者(教師など)としては、無かったことにしたい。
隠したい。

ある意味、それが認められてしまうことが、
職場に居づらい、とか、(責任問題などで)職を失うかどうか、の、瀬戸際。

ここはどうしても、自分を守るために、無かったことにしなければ、
というぐらいの事実。

問題(いじめ)が酷ければ、ひどいほど、
背負わなければならない責任が、大きくなっていく現実。

それが、変えられない、事実で、

私たちは、現実的に、そのような場所(学校)に、毎日子供や孫を送り出さなければならないのだということが、問題なのだと思います。

 このような現実がありながら、
教師や学校などの良心だけに頼って、「イジメを見つけたら公表してください」と呼び掛けても、
そもそも無理がある。

 昔と違い、「リモート授業」ができるようになった現代。

今、必ず学校に「行く」ということが、本当に必要なのか?と思います。

人は、自分は変えられますが、他人は変えられない。
(変えるのが、より難しい)
そこで出会う、まわりの人たちは、自分では決められない上、
逃げられない(毎日登校しなければならない)状況に追い込まれていることによって、一生の傷になるようなことを、受けたり、
毎年自殺者が出るほど過酷な「学校」という場所を、
今後も引き続き、毎日登校しなければならない場所にし続けることに、罪はないのか?

放置せず、そこを変えるのが、大人の責任なのではないか?

イジメによる被害者が後を絶たない今、
学校を、必ずしも登校しなければならない場所、
どんな人間がいても登校する場所、
とせず、
リモート授業を、出席扱いにする方向へ、変換することが必要なのではないか?と思います。

 広瀬爽彩さんの心と、命を救うことできませんでしたが、
これから将来、学校に通う子供達を救うことは出来ます。
今、変わらなければ、これから登校する子供達や、孫の命まで失うことになりかねない。

意地悪をする人を無くすことは、現実的に無理ですが、
その場所から、逃がしてあげることはできます。

学校の制度が見直されて、子供たち一人一人の才能が本当に活かされ、輝ける未来を生きることが出来るようになるように変わっていくことができればいいと思います。

人気の投稿